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キリスト教と公共性

さてこのように当時の現状に即して実践学という名の公共哲学を展開したアリストテレスですが、今日的観点からみた彼の限界も指摘しておきましょう。ポリスという政治的公共空間に関しては理想を追求した彼も、当時の社会構造に関してはリアリストで、ポリス以外の「オイコス(家)」の構造を固定的で普遍なものととらえました。徳性を有して政治参加が認められるのは成人男性にかぎられ、女性や奴隷は、ポリスの公共生活から除外され、オイコスという私的領域での仕事や労働に従事するのが自然本性上の役割だ、と彼は考えたのです。この考えは、プラトンが女性もエリート政治家になることができると考えたのに比べて、後退しています。

しかしそのような限界をはっきりと見据えたうえでも、今日アリストテレスの公共哲学から学ぶべき点は数多くあります。さきでみるように、その核心は、現代のコミュニタリアン(共同体主義者)やリパブリカン(共和主義者)と呼ばれる論客たちの知的源泉となっていることを指摘しておきましょう。ヨーロッパでは、アリストテレスの死後、ポリスの時代が終焉します。そして、マケドニアに引きつづきローマが支配する「帝国の時代」に入ります。そしてこの時代に生まれたストア派とキリスト教によって、ポリスの時代にはなかった新しい次元が公共哲学のなかにもたらされることになりました。

まず、前三〇〇年頃から二〇〇年頃にかけて栄えたストア派は、「コスモポリタニズム」と「自然法」という思想をもたらしました。ストア派は、人間を含めた宇宙の万物が神の摂理としての「自然の理法(ロゴス)」によって支配されていると考え、人類がこうした普遍的理法に従って生きているかぎり、みな同胞で平等であるとみなしたのです。それが、コスモポリタニズム(世界同胞主義)と呼ばれるもので、ポリス時代に支配的だった「ギリシャ市民とバルバロイ(異邦人)」とか「自由人と奴隷人」といった区分を打ち破る画期的な思想でした。

こうした思想が発展して、ローマでは、ローマ市民以外にも通用する(万民法こ謡gentium)」を自然の理法の映しとみなす「自然法」思想が生まれたのです。ローマ)の文人政治家キケロ(前一〇六‐四三)は、「公共のものとしての国家(res publica)」が「法によって結びついた人々の共同体」であると考え、その法のルーツは、人々の意思にではなく、国家が生まれる前から存在する「自然」のなかにあると明言しています。国家が制定する成文法の善し悪しも、自然法に照らして判断されなければならないというのが、彼の根本思想でした。かくして、ストア派の自然法的公共哲学は、六世紀に制定された『ローマ法大全』の母胎となります。このローマ法の伝統が今日のEuにいたるその後のヨーロッパ的秩序の基底をなしていることは、忘れられてはなりません。

らぎに、ギリシヤやローマではなく、ユダヤ地方を中心とするヘブライズムを母胎としつつも、ヘブライズムのユダヤ民族中心主義を打破して登場したキリスト教は、ローマ帝政時代に、ストア派以上にラジカルな思想を世にもたらしました。その創始者の一人パウローによれば、イエスーキリストの十字架上の死と復活によって罪から解放されるという点で、人間はすべて「奴隷も自由人も、ギリシヤ人もユダヤ人も区別なく平等」であり、そのメッセージを信仰共同体たる「教会(エクレシア)」は世に伝える使命をもつとされます。