記事一覧

パオの主人

むろん牧民は茶を栽培しない。中国「内地」の産品である。茶は漢族のもたらした商品としてはもっとも古いもののひとつだ。茶は早朝にストーブの最初の火で鍋でつくられ、例の大きくて保温力の高い中国製魔法びんに移されて一日中絶やさない。全員が放牧に出掛けて誰もいないパオに入りこんで、茶を飲むのは自由だ。それが草原の習慣である。身を休める緑蔭さえない草原の、相互扶助的な無言のシステムである。」般にモンゴル族は無ロで、言語表現に重きをおかない。漢族とは対照的だ。パオの主人の口数が異様なまでに少なくとも、それを不機嫌の兆候と判断するのは早計である。

パオの入ロの左手、水桶と反対側は馬具の置き場だ。切りそろえた羊肉が吊してあったりもする。この場所に小さな柵囲いかつくられることもある。仔牛のためだ。生まれたばかりの仔牛はたいへん素直で、同時に弱い。だから生後の一定期間は手厚い保護を加えるのだ。パオを訪問し、牧民と膝を交えるとき、わたしたちが困惑する問題がある。それは食前といわず食中といわず、際限なく白酒をすすめられることである。訪問初夜のみのしきたりだというが、そのすすめる熱意は尋常ではない。白酒は雑穀からつくり、北中国一帯で愛飲されている安酒だが、おそろしく強い。臭みもあって、なかなかすんなりと食道をくだってはいかない。「草原白酒」という抒情的な呼称を、実体の裏切ることおびただしい。

パオの主人は、まず盃に三杯飲み干すのが客の礼儀だと迫った。その後も間断なく酒を注ごうとする。四びん五ぴんと空になった。いずれパオの南側に堆く積まれた白酒の空びんに加えられて、朝にはおりだ霜で真白になるのだろう。こっそりと膝下の灰皿に酒をあけたつもりが見とがめられた。またなみなみと注ごうとするパオの主人の白酒を持った手をおさえた。それは動物の油脂でとても滑らかだった。さらに慣れない酒の盃を重ねた。目がまわった。パオの外に逃がれた。風はまだやまない。大地が冷え切ってはるか北方の気温と差がなくなるまで、真夜中まで、満天に冴えわたった星座のもと、強風は吹きつづけるのだ。

頭痛をかかえたまま眠った。いつの間にかストーブの火が消えている。四月の草原はおそろしく底冷えがする。なぜ七月に来ないのか、と内モンゴルに来て以来干回万回と聞いた言葉を思い出した。草原の美しさは七月と八月にある。そして草原に生きる喜びもそこらに集中しているという。七〇年代以前、牧民たちは冬営地と春営地を変えた。現在は秋から春までおなじ場所に住まうことが多くなった。パオのほかにレンガ造りの恒久的建造物を持つこともある。それは倉庫や、まれに住居につかわれる。羊は四月からの約四十五日間に生まれ、その間はいずれにしろ移動できない。四月、五月と春草の頃に、淘汰されるものは淘汰され、育つものは育って六月には羊群も安定する。六月三十日には年度の決算をするのがならいである。すなわち牧民の大晦日である。群は「銀の草」とモンゴル族が呼ぶ七月の草と、八月の「金の草」を喰み、十分に太ってつぎの冬に備える。モンゴル族は古来、漢族や日本族とおなじように金よりも銀を重んじ愛好したから、七月の方がやや優位なのかも知れない。

そして七月のはじめはナーダムである。ナーダムは「遊び」と翻訳できる。日本の県にあたる(面積ははるかに広いが)「盟」の下、日本でいえば郡にあたる「旗」の人々がそこかしこの草原から寄り来り、一ヵ所に会して歌い踊る。競馬をする。相撲をとる。相撲は原則として千二十四人が参加する。完全トーナメント制で、十人勝ち抜くと優勝である。土俵はない。まわしもしめない。そのかわりジオドクという硬い革の相撲服を上半身にまとう。ジオドクには銀の鋲がはめこんである。プリーツつきのズボンをはき、タオショウという足飾りをつける。力士たちは試合の前には、両手をひろげ、片足で跳ぶように舞う。足への攻撃は禁止されているからグレコローマンスタイルのレスリングに似ているが、相手の相撲服をどう掴むか、またどう腰技をつかうかがポイントだから柔道に近いともいえる。