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ユーラシアのダイナミズム

この明治時代には日本の大陸貿易は輸出総額の半分以上を占めていたし、清朝の日本留学生か急増し、ウラジオストクはじめ極東ロシアや中国東北部の各都市には日本人街がつくられていた。開かれた日本海、と言ってもよいくらいだったのである。日本海沿岸、いわゆる「裏日本」が当時の日本の表の顔だった。日本の軍事的な大陸進出の蔭に隠れていたが。それが閉じられた日本海に変わったのは、ほぼ一九二〇年代からである。ロシア革命と日本など連合国のシベリア出兵、さらに日本軍の本格的な大陸進出によって、そしてソ連の閉鎖的なスターリン体制の確立によってである。民衆間の経済交流がきな臭い軍事的緊張に変わって、日本海は閉じられていった。一方で、日本の近代資本主義の発展は太平洋側の工業化をもたらし、経済の拠点は日本海側から太平洋側に移った。そして戦後の「日米同盟」は、それに拍車をかけたのである。

一九八〇年代後半から九〇年代にかけての中国の「改革・開放」、そして一九九一年のソ連邦解体が、この状況を一変させた。七〇年ぶりに日本海が再び開かれたのである。閉じられた日本海は、この地域の歴史の射程で見ればほんの短い期間にすぎず、それが再び本来の姿に戻ろうとし始めたのだ。それは、グローバリゼーションの潮流のユーラシア東部におけるリージョナル(地域的)な現れでもある。それからすでに二〇年近く経っているが、○七年に日本の対中国貿易総額は対アメリカ貿易総額を初めて上回り、トップになったし、○八-○九年にはロシアのサハリンからの石油と天然ガスの日本への輸出も始まった。東シベリアからの日本などアジア太平洋地域への石油パイプライン建設も進行しており、○九年末にはシベリア産石油がナホトカ近郊から初めて輸出された。

シベリア鉄道による貨物輸送も飛躍的に増加しており、南北朝鮮縦断鉄道が試運転を開始し、それがシベリア鉄道に連結されようとしている。こうしたユーラシアの新たな胎動を、日本は過小評価している。とりわけ日本の外交は在日駐留米軍を「抑止力」と見なすなど冷戦思考にとらわれており、相変わらず対米従属の枠組みに安住し、さまざまなチャンスを逸している。日露間の領土問題でも、そうである。ユーラシアでは、中露国境画定をはじめ中国と中央アジア三カ国との国境画定、そしてロシアーカザフスタン、中国・ベトナム、中国・インド両国の国境確定への前進など、対等・互恵による国境の画定と安定・協力が進展している。この大きな流れから取り残されているのが、ほかならぬ日露領土問題である。日本政府は依然として、根拠薄弱な「四島一括返還」に固執しているだけで、独自の戦略的思考はいっさい見られない。

経済関係で見ても、二〇〇八年以来の世界経済危機は、自動車、家電製品を中心とする対アメリカ輸出、その資金によるアメリカ国債の購入といったサイクルが破綻したことを明らかにしている。しかも、日本の対アメリカ貿易額はかつては全貿易額の三〇%以上を占めていたが、○八年には全貿易額の一四%しか占めていないのである。一方、ヨーロッパを含めた広い意味のユーラシア(中国、ロシア、インド、EU、中東、東南アジアなど)との貿易額が約七〇%にもなっている。貿易立国・日本の貿易構造は、間違いなくユーラシアに依存しているのである。

それにもかかわらず、アメリカに圧倒的に依存していた、かつての日本の貿易構造が今日もつづいているかのような認識、すなわち錯覚がまかり通っている。そうした錯覚にもとづいた政策と現実とのギャップは、あまりにも大きい。だが、発想を転換させて、そのギャップを埋める機会を、今日の世界経済危機がもたらしているのである。日本は、アメリカを通じて世界を見るという惰性から抜け出し、ユーラシアに再び目を向けなければならない。ユーラシアのダイナミズムに日本が本格的にかかわることで、この国の時代閉塞の混迷を打破するきっかけになるだろうし、そのダイナミズムにいっそうの内実をあたえることにもなろう。