記事一覧

プロレタリア階級と共産党との関係

ボナパルト体制を見ると、ブルジョワ的議会制民主主義の方が、議会での議論の過程を通じて、党組織の民主化を忍耐強く実現していったことがわかります。つまり、共産党がプロレタリアの意思を実現すべく政治を執り行おうにも、自ら政党としての民主化が図られていない限り、それは暴力を背景にした独裁体制に帰着せざるをえないのです。マルクスは『共産党宣言』の第二章で、共産党とは何かについて触れています。そもそも彼は共産主義者同盟の綱領として同書を執筆したのですが、当の共産主義者同盟は、その名の通り、あくまでも共産主義者の組織にすぎません。それ自体が、議会制民主主義の党を目的としたものではないのです。とはいえ、彼らがプロレタリア階級の前衛としての共産主義者であった点においては、自ら共産党と名乗ってもおかしくはありません。なぜなら、彼らはわずか五〇〇人ばかりの組織でしたが、労働者の前衛としての地位をすでに確保していたからです。

ここで共産主義者について考えてみると、彼らはプロレタリア階級の中にあって、新しい社会が必然的に生まれるということに確信をもっている人々です。確信をもつという点で、共産主義者は前衛であり、その限りにおいてプロレタリア階級を指導することができます。そして共産主義者同盟は、すでに前衛としての共産党という自覚をもっており、それがために、共産主義者同盟の宣言は、「共産主義者宣言」ではなく、あえて「共産党宣言」とつけられたのでしょう。もちろん、当時の歴史的状況から見る限り、『共産党宣言』の共産党は、まだ政治結社とは言えず、あくまでも前衛という程度にすぎませんでした。それでもあえて共産党の名前を使ったのは、共産主義者であることを自覚するためだったと思われます。だから、マルクスとエングルスは、一八七二年に第二版を刊行した際、『共産主義者宣言』という当時の実状に沿った現実的な表現に変えたわけです。『共産党宣言』の中で、マルクスが重要視しているのは、共産主義者であって、共産党ではありません。同書に出てくる共産主義者像は、国籍を超えた存在で、共産主義の未来について確信はしているのですが、けっしてプロの政治家ではないのです。

そして同書の記述自体は、全編を通してプロレタリア階級に比重が置かれています。プロレタリア階級の発生とその使命について語ることに、ほとんどのページが割かれているのです。プロレタリア階級については、およそ以下のような説明がなされています。資本主義生産においては、階級は二つ、すなわちブルジョワ階級とプロレタリア階級に分かれる。しかも、その両極分解はどんどん進み、競争と独占によって中小の資本家はプロレタリア階級に零落、人口の大半がプロレタリア階級になる。プロレタリア階級は、やがて圧倒的多数の人口を擁することで、ブルジョワ階級を墓穴に追い込むことになるだろう、と。ここで重要なのは、共産党とプロレタリア階級との関係です。他の政党と共産党はどこが違うのか、それはただ一つ、すなわち共産党が自国の枠組を超えているという点です。つまり、自国のプロレタリア階級の利害に関心をもつと同時に、世界のプロレタリア階級にも関心を持たなければならない。なぜなら、共産党は世界のプロレタリア階級の前衛であり、プロレタリア階級に国家を超えた連帯を持たせる必要があるからです。

またマルクスは『共産党宣言』の中で、共産党はプロレタリア階級を指導したり、鋳型にはめたりするようなことはしない、という意味のことを言っています。これを言い換えれば、共産党はプロレタリア階級を指導し、彼らの上に立つ特別な組織ではなく、プロレタリア階級の中で人一倍共産主義の実現を確信している人々の組織にすぎないというわけです。とすれば、共産党はプロレタリア階級の中から選ばれた人々の組織ではない、ということになります。共産主義を確信できる者は少数で、必然的に共産主義者自体が少数なのですが、だからといって、彼らが特別な立場にあるわけではありません。では、共産党がプロレタリア階級を指導する特別な政党ではないとすれば、なぜ共産党は前衛としてプロレタリア階級を率いる強力な組織となったのでしょうか。『共産党宣言』を読む限り、この問いに対する答は出てきません。党の力よりも、むしろプロレタリア階級そのものの力によって新しい社会が出現する可能性の方が大きいということを、マルクスは言いたかったのかもしれません。共産党がプロレタリア階級の心情を共有するとしても、共産党が、プロレタリア階級そのものではないことは明らかです。

また共産党が、共産主義社会の実現を確信する人々の集団であるとしても、それだけならば、単にプロレタリア階級の票を集めて政治活動を行う組織にすぎません。しかし、議会制民主主義における政党の多くが、単に自党や支持者の利害を代表する組織に過ぎない一方で、共産党は共産主義を実現していくという、ある意味預言者としての使命をもっています。それはなぜでしょうか。それを理解するために、『旧約聖書』のアブラハムの話を思い出してみてください。アブラハムは神から、唯一「選ばれた民」としての使命を受けました。このアブラハムの子孫がユダヤ人です。しかし、ユダヤ人が「選ばれた民」であるからといって、彼らのすべてが「エデンの園」に行けるわけではありません。それどころかユダヤの人々は、厳しい弾圧を受け、辛酸を凪めながら、すべての民を「エデンの園」に連れていく責任を負わされた存在に過ぎなかったのです。『旧約聖書』を読む限り、彼らは神のお告げを他の民に先んじて耳にし、しかし、そうであるがゆえに苦しみを受けながら、未来の世界へと進んで行く人々でした。