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日雇い派遣の原則禁止をめぐって

今回の改正労働契約法の無期雇用転換申込権は、有期労働契約である登録型派遣にも適用されますので、通算契約期間が5年を超える派遣労働契約は登録型派遣である限り継続してはならないというリアクションが発生します。日雇い派遣をめぐっては、「派遣切り」や「派遣村」といった社会問題となった元凶としてクローズアップされ、日雇い派遣の原則禁止の立法化へ向かいました。そして、改正法で旦雇い派遣禁止が定められ、平成氾一年(2012年)10月1日の施行日から適用されています。これは「日雇い派遣禁止」といわれていますが、派遣先がイベントや引越し等で日々や短期間の派遣を求めることは禁止されておりません。それは、派遣元の派遣雇用契約の規制として、「日々又は30日以内の期間を定めて雇用する労働者」を旦雇い労働者として、そのような労働者の、「労働者派遣を行ってはならない。」とされたものです。

すなわち、「派遣元事業主は、その業務を迅速かつ的確に遂行するために専門的な知識、技術又は経験を必要とする業務のうち、労働者派遣により旦雇い労働者(日々又は30日以内の期間を定めて雇用する労働者をいう。以下この項において同じ。)を従事させても当該旦雇い労働者の適正な雇用管理に支障を及ぼすおそれがないと認められる業務として政令で定める業務について労働者派遣をする場合又は雇用の機会の確保が特に困難であると認められる労働者の雇用の継続等を図るために必要であると認められる場合その他の場合で政令で定める場合を除き、その雇用する旦雇い労働者について労働者派遣を行ってばならない。」(法第35条の3)とされました。

これは、雇用保険の加入資格が平成22年4月1日から、「31日以上の雇用見込み、かつ週所定労働時間20時間以上」となったこともあり、これに該当すれば一般雇用保険の適用労働者となり、受給要件を充足すれば雇用保険の給付対象となるという意義もあるからです。なお、現在のところ労使双方負担の雇用保険料のこともあり、受給資格要件の充足の困難性があるため、この派遣禁止規定で本当の雇用の安定となるかとの批判があります。前述のとおり旦雇い派遣の禁止といわれていますが、派遣元と派遣労働者との間の日雇い雇用契約(日々又は30日以内の雇用期間を含む。)により派遣することが禁止されているのであり、派遣先と派遣元との派遣契約自体は日々であっても差し支えないのです。

日雇労働者を労働者派遣することは禁止されていますが、日々雇用者が業務上必要な場合において日雇い紹介として民営職業紹介事業者が日々紹介を行うことは禁止されていません。この場合は、求人事業主が直接雇用するわけですから、労働者派遣特有のコ雇用と使用の分離」という問題はなくなるからです。なお、日雇い雇用管理の特殊性から、求人と求職のあっせんという日々雇用についての職業紹介事業者としての契約の仲介のみでなく、職業紹介事業者が日々雇用労働者の求人者側における雇用管理のサポート業務の委託を受けてこれらの業務を併せて行うことは禁止されていません。そこで、今後は、日雇い紹介により求人者側の直接雇用となっても特殊な雇用形態のため、求人企業側にもノウハウがないといった場合もありますので、紹介事業者の行う雇用管理業務サポートも必要な業務となるでしょう。

改正派遣法では、企業のリストラ対策として労働者派遣制度が濫用されるのを防止するため、定年退職者を除き会社を離職(退職・解雇を含む雇用の終了)した者については離職してから1年間は派遣の受入れ禁止を定めました。「派遣先は、労働者派遣の役務の提供を受けようとする場合において、当該労働者派遣に係わる派遣労働者が当該派遣先を離職した者であるときは、当該離職の日から起算して一年を経過する日までの間は、当該派遣労働者(雇用の機会の確保が特に困難であり、その雇用の継続等を図る必要があると認められる者として厚生労働省令で定める者ものを除く。)に係わる労働者派遣の役務の提供を受けてはならない。」(法第40条の6・813年後は第40条の9)と定めました。

鉄道省の権限は大きい

CCTV火災は、「面子は法を超える」という中国社会の潜規則をあぶり出した。「五輪開幕式と同じ花火を打ち上げられる」CCTVは、面子の大きさをひけらかすことができた。なぜ、面子が大きくなるかと言えば、他の者ができないことをやりおおせだからである。英語圏への中国文化紹介で大きな功績を残した作家の林語堂(1895~1976年)は、冒頭に引用した世界的ベストセラー「My Country and My People」(1935年)の中で、「面子を定義することは難しいが、例えば、北京の役人が制限時速35マイルの道路を60マイルで走ることができる時、彼は大いに面子があるという」と見事に言い当てている。社会を拘束する法を凌駕する実質的な権力が、面子の源泉なのである。林は同書で、面子の悪弊についていくつかの例を挙げている。長江を航行する汽船に2人の兵士が乗った。兵士たちは、船内のどこへ行こうが天下御免だと豪語し、関係者以外立ち入り厳禁と書かれた貨物室に入った。

そして、周囲の制止に耳を貸さず木箱に座ってたばこを吸い始めたが、箱の中に入っていた硫黄に引火し、汽船は大爆発を起こしてしまった。結局「2人の面子は立ったが、その代わりに命を犠牲にした」。また、上海のある将軍が、勧告を無視して制限を超える荷物を飛行機に運び込んだ。さらに、見送りの人々にいいところを見せようとパイロットに飛行場の上で一周旋回するよう命じた。しかし、飛行機はバランスを失って木に衝突してしまった。そして「将軍は面子の代償に片足を失ってしまった」。林は「中国人がみな自分の面子を捨てなければ、中国は真の民主主義国家となることはできない」と嘆いたが、面子の愚行は繰り返されている。CCTV火災ばかりではない。高速鉄道事故も面子が生んだ悲劇と言ってよい。

浙江省温州で2011年7月23日夜に起きた高速鉄道の追突、脱線事故では、貴重な物証である車両を地中に埋める証拠隠滅まがいの処理が猛反発を受けた。また、翌24日未明、「生命反応がない」と救援活動が打ち切られた後で、大破した車両から2歳の女児が生きて救出され、人命軽視に批判が集まった。なりふり構わぬ鉄道省の対応に、インターネットでは「鉄道省の面子が大事なのか?人の命が大事なのか?」と怒りの書き込みがあふれた。温家宝首相は28日、事故現場の高架下で内外向けの記者会見を開き、「事故処理に多くの疑問を生んだ」と認め、「我々は真剣に民衆の意見に耳を傾け、責任ある答えを出さなければならない」と強調した。出席した同僚記者によると、会見後、中国メディアの記者たちは「鉄道省は残れ!」と随行の同省幹部らに取材を求めたが、一行は無視して立ち去ってしまった。

確かに鉄道省の権限は大きい。抗日戦争、共産党と国民党との内戦を通じ、鉄道は軍事戦略上、重要な役割を担った。1949年の建国後も鉄道部門は人民解放軍の一翼として朝鮮戦争やベトナム戦争の物資輸送に貢献する一方、主要交通機関として計画経済を支える重要な役割を果たした。そのため強大な権限が与えられ、「鉄老大」と呼ばれた。「鉄」は鉄道、「老大」は長男やリーダーに対する親しみを込めた呼称で、鉄道事業の功績に対する敬意を含んでいた。空路がまだ発達せず、鎖国政策で海運も重視されていなかった時代、唯一の大量輸送機関だった鉄道事業は、交通・運輸業界の中で最も面子が大きかったのである。

ところが、改革・開放政策が導入された1980年代以降は、監督官庁が現業を兼ねている組織上の欠陥が非効率な事業運営を招き、また、公共財産の流用が横行し、同省幹部の腐敗事件が頻発した。2005年以降は約2兆元を投じた高速鉄道事業の拡大で、利権構造はさらに肥大化した。2011年2月には、劉志軍・鉄道相が、高速鉄道建設の入札を巡る約300万元超の収賄容疑で解任される疑獄事件も起きている。「鉄老大」は、規律の緩んだ巨大組織を鄭楡する言葉に変質した。鉄道省は職員約210万人を抱え、同省に所属する警察、検察、裁判所が事件処理を行い「独立王国」とさえ呼ばれる。権力の独占状態を解消するため、同年6月末までに捜査、司法部門を同省から分離させる改革が進められてきたが「実行できたのは北京など一部の地域だけ。人的関係は相変わらず残っており、実効性は期待できない」(司法担当記者)のが実態だ。

自立を妨げる儒教道徳を批判する

芭の友人だった雑誌編集長が震災時、部下の女性らを置いて飛び出し、戻って助け出す勇気もなかった自分を責め、苦しんでいた。日記を公開した直接の動機は、この友人を励ますのが目的だったが、予想以上の反発に対し、茫はサイト上でさらに詳しい釈明を試みた。要点は以下の三点だ。ネット上で大震災への義援金高額番付が登場し、一部の著名運動選手や企業家が少額であると攻撃されていた。義援金は自発的なもので、他から強制される義務ではない。こうした陰湿な集団による道徳的暴力と偽善に対し、強い反感を持った。地震の際、自分を犠牲にして他人を救った人たちのことは知っているが、一方で、メディアの報道や社会世論の中に、ある程度の事実隠しや道徳的犠牲の宣揚、さらにこうした手段によって暗示される道徳の強要を感じた。

儒教哲学がこれまで多くの完成された偽の聖人君子を生んできた。こうしたことに罪悪感も反省もない国家は正常ではない。道徳家の凛然とした居丈高な態度を見て、私は批判しなければならないと思った。自分をどのような方法で批判してもよいが、私にも反論する権利がある。他人を救助する義務はあるが、極めて大きな生命の危険を冒してまで人を救う義務はない。もし別の人がそうしても、それは自ら選んだことであって高尚ということではなく、そうしなかったからといって、それは自分の自由であって間違いではないこと。自分よりも他人を優先させ自己を犠牲にすることは、一種の選択であって美徳ではないことを伝えたかった。

生徒を置き去りにしたことは、伝統的な教師の職業倫理に照らせば弁解の余地がない。しかも、進んでそれを公表し、正当化するやり方は賛同を得られなかった。だが、彼の主張は正論だった。挙国体制による厳しい報道統制の下、倒壊校舎の下敷きになって死亡した子どもの親たちが、政府に手抜き工事の責任追及をし、警察に拘束される事件も起きていたが、全く報じられなかった。現場では、救援物資や義援金が届かない被災民の不満も出ていたが、政府の責任問題にかかわる声は外国メディアでしか触れることができなかった。義援金の多寡で著名人や企業をランク付けし、愛国心や社会貢献度の尺度にする異常な風潮が支配し、少額の企業に対しては商品の不買運動さえ呼びかける動きも出ていた。苗が国内報道や世論の「事実隠しや道徳的犠牲の宣揚」を指摘したのは勇気のいることだ。

道徳的犠牲が強制される社会について、芭はその元凶を、儒教の身分秩序が生む被支配者意識に求めていた。被支配者意識は独立した人格を持ち得ず、権力に付き従う精神しか持てない。清末民国初の国難にあって、魯迅は個人の自立を妨げる儒教道徳を批判し、『阿Q正伝』を著した。阿Qは真実に向き合うことをせず、自分を偽って精神的な優位に逃げ込む奴隷根性の持ち主だ。魯迅が中国人の奴隷根性を批判してから九十年たった今もなお、後進的な国民性を克服できていないと、魯迅崇拝者の苗は強い憤りを感じていた。生徒も同僚も校長も擁護。芭の告白を初めてメディアとして取り上げた広州紙『新快報』(五月二十五日付)は、ネット上の批判と同時に「沈黙せずに本心を語ったのは評価すべき」とする肯定意見も併記し、以下のような、教え子の人物評を添えた。

米国に留学し、西洋現代詩を多数翻訳。自身も透徹した思索に基づく秀作を多く残し、中国現代詩に新風を吹き込んだ)、ドストエフスキーまで語り、カフカ、トーマス・エリオット、王国維(一八七七~一九二七年。清末から中華民国時代にかけ、哲学から文学、美学、歴史、考古学に幅広い先駆的業績を残した)の名を教えてくれた。ぼくたちは出来が悪かったけれど、先生は最後まであきらめず、価値があり、知る必要のある名前を頭にたたき込んでくれた。ぼくたちが大学進学後、先生のような愚かな学生にならないようにというのだった。ほかのどんな先生よりも視野が広く、我々の将来を考えてくれていた。先生は功利的なことも一切求めなかった。」

膨らむ資産劣化の恐れ

FRBには強い危機感が走った。米連邦公開市場委員会(FOMC)が決めた政策金利を守れない前代未聞の状況は金融政策の信認を揺るがすが、それだけが理由ではない。米国では、日本の銀行預金のように個人の財布代わりになっているマネー・マーケット・ファンド(MMF)が、短期市場で大量の資金を運用している。もし金利がゼロになれば、解約殺到の恐れもある。そうなればMMFが持つCPが売られ、ただでさえ厳しい企業の資金繰りに追い打ちをかけかねない。事態を打開するためFRBは、金利付与の制度を導入してからわずか1ヵ月後の十一月、それまで政策金利よりも低い水準にあった「下限金利」を政策金利と同じ一%まで引き上げた。

これで政策金利の「下振れ」を解消したいとの期待からだったが、結局、FF金利は一%を下回り続け、窮余の策も空振りに終わった。「FRBは出口への戦略もなく、量的緩和に足を踏み入れているのではないか」。日銀の幹部は「なし崩しの量的緩和」に懸念を示したが、残された選択肢が少ないのは日銀も同じだ。深刻さを増す金融・経済危機が、各国中銀、そして日銀の手足を縛り始めていた。FRBダラス連銀のフィッシャー総裁は、全米に十二ある地区連銀のトップで最もインフレを警戒し、利上げを主張する「タカ派」として知られていた。そのフィッシャー総裁に新たな懸念が加わった。FRBのバランスシート(貸借対照表)膨張だ。「新年までにFRBの資産が三兆ドルに膨らんでも不思議はない。米国内総生産(GDP)の二〇%という額だ」。二〇〇八年十一月初め、そう警鐘を鳴らした。

リーマン・ブラザーズが破綻する直前の九月上旬に九千四百億ドルだったFRBの資産規模は、わずか二ヵ月半で二兆二千億ドルと二・四倍に膨らんだ。金融機関や市場への資金供給を増やす目的で、証券や債券などの買い取りを拡大したためだ。フィッシャー総裁の発言から二週間余りたったトー月二十五日。FRBは最大八千億ドルの住宅ローン担保証券や個人ローン債権を金融機関から買い取ると発表した。借り手となる個人や金融機関の支援が狙いだが、買い取った債権はFRBの資産に計上され、バランスシートを膨らませる。「三兆ドル」は現実味を増していった。金融危機が深刻化した○八年春以降、FRBはまさに大盤振る舞いというべき支援を連発してきた。ベアー・スターンズに二百九十億ドル、アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に一千百億ドル、企業からのコマーシャルペーパー(CP)購入に二千七百億ドル。そこに上乗せする形での八千億ドルの巨額支援。

しかもFRBは、今後さらに矢を放つ構えを見せていた。危機への対応を迫られているのは他の中央銀行も同じで、支援策はFRBほどではないにしても、やはり資産を膨らませていた。十一月下旬時点で日銀の資産は年初より約一割増、欧州中央銀行(ECB)は約四割増、英イングランド銀行(BOE)は二こ二倍に増えた。中央銀行の資産を拡大させている支援策の目的は、大きく分けて二つ。第一は機能マヒに陥った市場のテコ入れだ。住宅ローンを裏付けとする証券化商品などは商品の価値に疑念が生じ買い手がつかない。銀行が互いの健全性に神経質になり資金の貸し借りが極端に細る現象も目立つ。中央銀行は市場を補完する形で資金を供給するとともに、これを通じて取引を正常化させる誘い水の効果を狙った。

市場本来の機能が失われてしまった

「ゼロ金利への競走」。主要中銀の置かれた立場を内外のエコノミストはそう説明していた。十一月二十一日の時点でFRBの政策金利は史上最低に並ぶ一%。欧州中央銀行(ECB)の政策金利も約二年ぶりの低水準で、さらなる利下げが予想されていた。英イングランド銀行(BOE)に至っては、相次ぐ大幅利下げで、政策金利は約五十年ぶりの水準まで下がっていた。しかし、利下げの効果は徐々に小さくなっていた。十一月六日のBOEによる丁五%の大幅な利下げにも株価はほとんど反応を示さなかった。さらに主要な民間銀行が貸出金利の引き下げを見送る事態も生じた。通常なら「利下げ・市場金利低下・貸出金利下げ」と政策効果が浸透していくが、信用不安を背景に利下げ後も市場金利が高止まりしたためだ。

市場の心理好転と景気テコ入れを狙った当局は二重の衝撃を受けた。金利がゼロに近づくなかで、利下げの効果に限界が見え始めた主要中銀。市場では、各中銀が次にどんな策をひねり出すのかに、にわかに注目が集まり始めた。これ以上の利下げが難しくなった中央銀行にとって、一段の金融緩和のためとりうる選択肢の一つは、政策運営の目安を「金利」ではなく、お金の「量」に切り替えて、たっぷりと資金を供給する量的緩和政策だ。日本が○一年から五年間にわたって採用した政策だが、今回は「世界同時の量的緩和が視野に入る」(クレディ・スイス証券の白川浩道チーフエコノミスト)との可能性もささやかれ始めた。

ただし、各中銀は仮に量的緩和に突入する場合でも金利をゼロにすることは避け、プラス金利を保ちたいと考えていたようだ。少なくとも、日銀内には「何としてもゼロ金利は避けたい」と考える幹部が多くいた。ゼロ金利が長引いた日本では、銀行が日銀から資金を直接調達できるようになり、銀行同士が資金をやり取りする短期金融市場での取引が極端に細った。信用力に応じて金利が発生するという「市場本来の機能が失われてしまった」(日銀幹部)との反省がある。FRBも、そうした弊害を十分承知していたものと思われる。

潤沢に資金を供給しながら、ゼロ金利は避ける。一見矛盾する二つの課題を両立させるため、まず十月にFRBが手を打ち、日銀がこれに続いた。銀行が資金決済などを行うため中央銀行に開設している「当座預金口座」に金利を付け始めたのだ。銀行はふだん、余剰な資金を短期金融市場で運用して金利収入を得ている。だが市場で付く金利が当座預金の金利を下回った場合、銀行はお金を中央銀行に預けた方が有利になる。このため理屈上は、市場の金利は当座預金に付く金利を下回ることはなくなる。短期市場金利に事実上の「下限」を設定できるわけだ。もっとも当座預金に金利を付ければ、銀行がお金を当座預金口座に眠らせたままにする可能性がある。供給したお金が市場や貸し出しに回りにくくなるとの弊害を指摘する声は、日銀内からも上がった。

より深刻な事態に見舞われ、金融政策に大きな混乱が生じたのは米国だ。当座預金に金利を付けたのに短期金利は急降下。政策金利であるフェデラルファッド(FF)金利の誘導目標を大きく下回り、「下限金利」が機能しない事態が生じた。主な原因は米連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)、米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)という二つの住宅公社。二社は短期金融市場で巨額の資金を運用しているが、FRBは銀行などのように当座預金に金利が付く仕組みを、この二社には適用していなかった。そのため余剰資金を当座預金よりも低い金利で市場に供給し、FF金利を押し下げてしまった。

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