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鉄道省の権限は大きい

CCTV火災は、「面子は法を超える」という中国社会の潜規則をあぶり出した。「五輪開幕式と同じ花火を打ち上げられる」CCTVは、面子の大きさをひけらかすことができた。なぜ、面子が大きくなるかと言えば、他の者ができないことをやりおおせだからである。英語圏への中国文化紹介で大きな功績を残した作家の林語堂(1895~1976年)は、冒頭に引用した世界的ベストセラー「My Country and My People」(1935年)の中で、「面子を定義することは難しいが、例えば、北京の役人が制限時速35マイルの道路を60マイルで走ることができる時、彼は大いに面子があるという」と見事に言い当てている。社会を拘束する法を凌駕する実質的な権力が、面子の源泉なのである。林は同書で、面子の悪弊についていくつかの例を挙げている。長江を航行する汽船に2人の兵士が乗った。兵士たちは、船内のどこへ行こうが天下御免だと豪語し、関係者以外立ち入り厳禁と書かれた貨物室に入った。

そして、周囲の制止に耳を貸さず木箱に座ってたばこを吸い始めたが、箱の中に入っていた硫黄に引火し、汽船は大爆発を起こしてしまった。結局「2人の面子は立ったが、その代わりに命を犠牲にした」。また、上海のある将軍が、勧告を無視して制限を超える荷物を飛行機に運び込んだ。さらに、見送りの人々にいいところを見せようとパイロットに飛行場の上で一周旋回するよう命じた。しかし、飛行機はバランスを失って木に衝突してしまった。そして「将軍は面子の代償に片足を失ってしまった」。林は「中国人がみな自分の面子を捨てなければ、中国は真の民主主義国家となることはできない」と嘆いたが、面子の愚行は繰り返されている。CCTV火災ばかりではない。高速鉄道事故も面子が生んだ悲劇と言ってよい。

浙江省温州で2011年7月23日夜に起きた高速鉄道の追突、脱線事故では、貴重な物証である車両を地中に埋める証拠隠滅まがいの処理が猛反発を受けた。また、翌24日未明、「生命反応がない」と救援活動が打ち切られた後で、大破した車両から2歳の女児が生きて救出され、人命軽視に批判が集まった。なりふり構わぬ鉄道省の対応に、インターネットでは「鉄道省の面子が大事なのか?人の命が大事なのか?」と怒りの書き込みがあふれた。温家宝首相は28日、事故現場の高架下で内外向けの記者会見を開き、「事故処理に多くの疑問を生んだ」と認め、「我々は真剣に民衆の意見に耳を傾け、責任ある答えを出さなければならない」と強調した。出席した同僚記者によると、会見後、中国メディアの記者たちは「鉄道省は残れ!」と随行の同省幹部らに取材を求めたが、一行は無視して立ち去ってしまった。

確かに鉄道省の権限は大きい。抗日戦争、共産党と国民党との内戦を通じ、鉄道は軍事戦略上、重要な役割を担った。1949年の建国後も鉄道部門は人民解放軍の一翼として朝鮮戦争やベトナム戦争の物資輸送に貢献する一方、主要交通機関として計画経済を支える重要な役割を果たした。そのため強大な権限が与えられ、「鉄老大」と呼ばれた。「鉄」は鉄道、「老大」は長男やリーダーに対する親しみを込めた呼称で、鉄道事業の功績に対する敬意を含んでいた。空路がまだ発達せず、鎖国政策で海運も重視されていなかった時代、唯一の大量輸送機関だった鉄道事業は、交通・運輸業界の中で最も面子が大きかったのである。

ところが、改革・開放政策が導入された1980年代以降は、監督官庁が現業を兼ねている組織上の欠陥が非効率な事業運営を招き、また、公共財産の流用が横行し、同省幹部の腐敗事件が頻発した。2005年以降は約2兆元を投じた高速鉄道事業の拡大で、利権構造はさらに肥大化した。2011年2月には、劉志軍・鉄道相が、高速鉄道建設の入札を巡る約300万元超の収賄容疑で解任される疑獄事件も起きている。「鉄老大」は、規律の緩んだ巨大組織を鄭楡する言葉に変質した。鉄道省は職員約210万人を抱え、同省に所属する警察、検察、裁判所が事件処理を行い「独立王国」とさえ呼ばれる。権力の独占状態を解消するため、同年6月末までに捜査、司法部門を同省から分離させる改革が進められてきたが「実行できたのは北京など一部の地域だけ。人的関係は相変わらず残っており、実効性は期待できない」(司法担当記者)のが実態だ。

中国共産党幹部、1兆7000億円を横領したことが判明

寝屋川 ホテヘル

自立を妨げる儒教道徳を批判する

芭の友人だった雑誌編集長が震災時、部下の女性らを置いて飛び出し、戻って助け出す勇気もなかった自分を責め、苦しんでいた。日記を公開した直接の動機は、この友人を励ますのが目的だったが、予想以上の反発に対し、茫はサイト上でさらに詳しい釈明を試みた。要点は以下の三点だ。ネット上で大震災への義援金高額番付が登場し、一部の著名運動選手や企業家が少額であると攻撃されていた。義援金は自発的なもので、他から強制される義務ではない。こうした陰湿な集団による道徳的暴力と偽善に対し、強い反感を持った。地震の際、自分を犠牲にして他人を救った人たちのことは知っているが、一方で、メディアの報道や社会世論の中に、ある程度の事実隠しや道徳的犠牲の宣揚、さらにこうした手段によって暗示される道徳の強要を感じた。

儒教哲学がこれまで多くの完成された偽の聖人君子を生んできた。こうしたことに罪悪感も反省もない国家は正常ではない。道徳家の凛然とした居丈高な態度を見て、私は批判しなければならないと思った。自分をどのような方法で批判してもよいが、私にも反論する権利がある。他人を救助する義務はあるが、極めて大きな生命の危険を冒してまで人を救う義務はない。もし別の人がそうしても、それは自ら選んだことであって高尚ということではなく、そうしなかったからといって、それは自分の自由であって間違いではないこと。自分よりも他人を優先させ自己を犠牲にすることは、一種の選択であって美徳ではないことを伝えたかった。

生徒を置き去りにしたことは、伝統的な教師の職業倫理に照らせば弁解の余地がない。しかも、進んでそれを公表し、正当化するやり方は賛同を得られなかった。だが、彼の主張は正論だった。挙国体制による厳しい報道統制の下、倒壊校舎の下敷きになって死亡した子どもの親たちが、政府に手抜き工事の責任追及をし、警察に拘束される事件も起きていたが、全く報じられなかった。現場では、救援物資や義援金が届かない被災民の不満も出ていたが、政府の責任問題にかかわる声は外国メディアでしか触れることができなかった。義援金の多寡で著名人や企業をランク付けし、愛国心や社会貢献度の尺度にする異常な風潮が支配し、少額の企業に対しては商品の不買運動さえ呼びかける動きも出ていた。苗が国内報道や世論の「事実隠しや道徳的犠牲の宣揚」を指摘したのは勇気のいることだ。

道徳的犠牲が強制される社会について、芭はその元凶を、儒教の身分秩序が生む被支配者意識に求めていた。被支配者意識は独立した人格を持ち得ず、権力に付き従う精神しか持てない。清末民国初の国難にあって、魯迅は個人の自立を妨げる儒教道徳を批判し、『阿Q正伝』を著した。阿Qは真実に向き合うことをせず、自分を偽って精神的な優位に逃げ込む奴隷根性の持ち主だ。魯迅が中国人の奴隷根性を批判してから九十年たった今もなお、後進的な国民性を克服できていないと、魯迅崇拝者の苗は強い憤りを感じていた。生徒も同僚も校長も擁護。芭の告白を初めてメディアとして取り上げた広州紙『新快報』(五月二十五日付)は、ネット上の批判と同時に「沈黙せずに本心を語ったのは評価すべき」とする肯定意見も併記し、以下のような、教え子の人物評を添えた。

米国に留学し、西洋現代詩を多数翻訳。自身も透徹した思索に基づく秀作を多く残し、中国現代詩に新風を吹き込んだ)、ドストエフスキーまで語り、カフカ、トーマス・エリオット、王国維(一八七七~一九二七年。清末から中華民国時代にかけ、哲学から文学、美学、歴史、考古学に幅広い先駆的業績を残した)の名を教えてくれた。ぼくたちは出来が悪かったけれど、先生は最後まであきらめず、価値があり、知る必要のある名前を頭にたたき込んでくれた。ぼくたちが大学進学後、先生のような愚かな学生にならないようにというのだった。ほかのどんな先生よりも視野が広く、我々の将来を考えてくれていた。先生は功利的なことも一切求めなかった。」

膨らむ資産劣化の恐れ

FRBには強い危機感が走った。米連邦公開市場委員会(FOMC)が決めた政策金利を守れない前代未聞の状況は金融政策の信認を揺るがすが、それだけが理由ではない。米国では、日本の銀行預金のように個人の財布代わりになっているマネー・マーケット・ファンド(MMF)が、短期市場で大量の資金を運用している。もし金利がゼロになれば、解約殺到の恐れもある。そうなればMMFが持つCPが売られ、ただでさえ厳しい企業の資金繰りに追い打ちをかけかねない。事態を打開するためFRBは、金利付与の制度を導入してからわずか1ヵ月後の十一月、それまで政策金利よりも低い水準にあった「下限金利」を政策金利と同じ一%まで引き上げた。

これで政策金利の「下振れ」を解消したいとの期待からだったが、結局、FF金利は一%を下回り続け、窮余の策も空振りに終わった。「FRBは出口への戦略もなく、量的緩和に足を踏み入れているのではないか」。日銀の幹部は「なし崩しの量的緩和」に懸念を示したが、残された選択肢が少ないのは日銀も同じだ。深刻さを増す金融・経済危機が、各国中銀、そして日銀の手足を縛り始めていた。FRBダラス連銀のフィッシャー総裁は、全米に十二ある地区連銀のトップで最もインフレを警戒し、利上げを主張する「タカ派」として知られていた。そのフィッシャー総裁に新たな懸念が加わった。FRBのバランスシート(貸借対照表)膨張だ。「新年までにFRBの資産が三兆ドルに膨らんでも不思議はない。米国内総生産(GDP)の二〇%という額だ」。二〇〇八年十一月初め、そう警鐘を鳴らした。

リーマン・ブラザーズが破綻する直前の九月上旬に九千四百億ドルだったFRBの資産規模は、わずか二ヵ月半で二兆二千億ドルと二・四倍に膨らんだ。金融機関や市場への資金供給を増やす目的で、証券や債券などの買い取りを拡大したためだ。フィッシャー総裁の発言から二週間余りたったトー月二十五日。FRBは最大八千億ドルの住宅ローン担保証券や個人ローン債権を金融機関から買い取ると発表した。借り手となる個人や金融機関の支援が狙いだが、買い取った債権はFRBの資産に計上され、バランスシートを膨らませる。「三兆ドル」は現実味を増していった。金融危機が深刻化した○八年春以降、FRBはまさに大盤振る舞いというべき支援を連発してきた。ベアー・スターンズに二百九十億ドル、アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に一千百億ドル、企業からのコマーシャルペーパー(CP)購入に二千七百億ドル。そこに上乗せする形での八千億ドルの巨額支援。

しかもFRBは、今後さらに矢を放つ構えを見せていた。危機への対応を迫られているのは他の中央銀行も同じで、支援策はFRBほどではないにしても、やはり資産を膨らませていた。十一月下旬時点で日銀の資産は年初より約一割増、欧州中央銀行(ECB)は約四割増、英イングランド銀行(BOE)は二こ二倍に増えた。中央銀行の資産を拡大させている支援策の目的は、大きく分けて二つ。第一は機能マヒに陥った市場のテコ入れだ。住宅ローンを裏付けとする証券化商品などは商品の価値に疑念が生じ買い手がつかない。銀行が互いの健全性に神経質になり資金の貸し借りが極端に細る現象も目立つ。中央銀行は市場を補完する形で資金を供給するとともに、これを通じて取引を正常化させる誘い水の効果を狙った。

市場本来の機能が失われてしまった

「ゼロ金利への競走」。主要中銀の置かれた立場を内外のエコノミストはそう説明していた。十一月二十一日の時点でFRBの政策金利は史上最低に並ぶ一%。欧州中央銀行(ECB)の政策金利も約二年ぶりの低水準で、さらなる利下げが予想されていた。英イングランド銀行(BOE)に至っては、相次ぐ大幅利下げで、政策金利は約五十年ぶりの水準まで下がっていた。しかし、利下げの効果は徐々に小さくなっていた。十一月六日のBOEによる丁五%の大幅な利下げにも株価はほとんど反応を示さなかった。さらに主要な民間銀行が貸出金利の引き下げを見送る事態も生じた。通常なら「利下げ・市場金利低下・貸出金利下げ」と政策効果が浸透していくが、信用不安を背景に利下げ後も市場金利が高止まりしたためだ。

市場の心理好転と景気テコ入れを狙った当局は二重の衝撃を受けた。金利がゼロに近づくなかで、利下げの効果に限界が見え始めた主要中銀。市場では、各中銀が次にどんな策をひねり出すのかに、にわかに注目が集まり始めた。これ以上の利下げが難しくなった中央銀行にとって、一段の金融緩和のためとりうる選択肢の一つは、政策運営の目安を「金利」ではなく、お金の「量」に切り替えて、たっぷりと資金を供給する量的緩和政策だ。日本が○一年から五年間にわたって採用した政策だが、今回は「世界同時の量的緩和が視野に入る」(クレディ・スイス証券の白川浩道チーフエコノミスト)との可能性もささやかれ始めた。

ただし、各中銀は仮に量的緩和に突入する場合でも金利をゼロにすることは避け、プラス金利を保ちたいと考えていたようだ。少なくとも、日銀内には「何としてもゼロ金利は避けたい」と考える幹部が多くいた。ゼロ金利が長引いた日本では、銀行が日銀から資金を直接調達できるようになり、銀行同士が資金をやり取りする短期金融市場での取引が極端に細った。信用力に応じて金利が発生するという「市場本来の機能が失われてしまった」(日銀幹部)との反省がある。FRBも、そうした弊害を十分承知していたものと思われる。

潤沢に資金を供給しながら、ゼロ金利は避ける。一見矛盾する二つの課題を両立させるため、まず十月にFRBが手を打ち、日銀がこれに続いた。銀行が資金決済などを行うため中央銀行に開設している「当座預金口座」に金利を付け始めたのだ。銀行はふだん、余剰な資金を短期金融市場で運用して金利収入を得ている。だが市場で付く金利が当座預金の金利を下回った場合、銀行はお金を中央銀行に預けた方が有利になる。このため理屈上は、市場の金利は当座預金に付く金利を下回ることはなくなる。短期市場金利に事実上の「下限」を設定できるわけだ。もっとも当座預金に金利を付ければ、銀行がお金を当座預金口座に眠らせたままにする可能性がある。供給したお金が市場や貸し出しに回りにくくなるとの弊害を指摘する声は、日銀内からも上がった。

より深刻な事態に見舞われ、金融政策に大きな混乱が生じたのは米国だ。当座預金に金利を付けたのに短期金利は急降下。政策金利であるフェデラルファッド(FF)金利の誘導目標を大きく下回り、「下限金利」が機能しない事態が生じた。主な原因は米連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)、米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)という二つの住宅公社。二社は短期金融市場で巨額の資金を運用しているが、FRBは銀行などのように当座預金に金利が付く仕組みを、この二社には適用していなかった。そのため余剰資金を当座預金よりも低い金利で市場に供給し、FF金利を押し下げてしまった。

ドル安に象徴されるアメリカ経済の危機

資源価格の高騰は、資源使用効率のより高い企業を相対的に有利にする。価格の高いものを少なく使って同じような仕事ができるからであるし、資源効率の高い機器(たとえば燃費のいい自動車) への世界的な需要が高まるからである。だから、これまでも高い資源価格(あるいは高い資源関連税率)の下で市場が形成されてきた日本国内市場で鍛えられてきた日本企業は、案外有利な立場にある。それは、オイルショックの後で世界的に燃費のいい日本の自動車や効率的な日本の省エネ技術関連機器への需要が高まったことを思い出させる。

環境問題の深刻化もまた、あくまでも相対的にだが、日本企業にとってはプラスの面もある。第一に、温暖化ガスヘの対策としての原子力発電や太陽光発電、燃料電池のコジェネレーション機器など、日本の産業が世界のトップレベルにある分野は多い。東芝が最近続々と原子力発電所の大型商談を勝ち取っているのが、その例である。あるいは大気汚染への対策機器でも、省エネ機器でも、日本の技術がこれからますます生きるだろう。

ドル安に象徴されるアメリカ経済の危機は、たしかに日本企業の輸出や海外需要へのマイナスの影響を持つだろう。しかし、ドル安は円高でもある。それは、日本企業の購買力という点では、日本の通貨の購買力が世界的に大きくなる現象で、プラスであるし、また外国企業にとって日本市場での製品競争力や購買力が小さくなるという現象である。購買力という点で言えば、日本企業をアメリカ企業が買収しようとするときにも、彼らにとってのドル建て株式価値は高くなってしまう。三角買収が可能になったおかげで日本企業が米国企業に買われてしまうという危機感が生まれていたが、多少は一服するのである。

もちろん、現在の日本経済の状態がピンチになりかねない状況だという認識は正しいだろう。しかし、ピンチをもたらす要因が「他国企業との相対感では」プラスの側面をも持つことを忘れてはならない。私はこの稿で、あえてそうしたプラスの側面だけを書いてみた。もちろん現実には、マイナスもあり、かつプラスもある。あくまでその総合判断でしか、結論は出せない。たとえば、たしかに世界経済のスローダウンによる需要面への影響は大きいだろう。しかし、その影響の大きさにしても、成長の高い国ほどきついことを考えるべきである。つまり、ゆるやかな成長しかしてこなかった日本企業よりは、中国や米国などの企業への負の影響の方が大きいであろう。

この件にかかわらず一般的に、プラスマイナスの総合判断をせざるを得ないとき、多くの人は「コスト高」要因ばかりを見てしまう。それは「確実に計算できる」要因だからである。私があげた「プラス要因」は生まれうるかもしれない「不確実な」要因ばかりとも言える。日本企業への需要が増えるのか、デフレからの脱出ができるのか、日本の通貨の国際購買力がよかったとしてもそれをうまく使えるのか。たしかに、確実ではない。しかし、「確実に計算できるマイナス要因」を小さくする努力、「不確実なメリット」を実現する努力、それが経営ではないのか。その意思を強く持てるかどうかで、結果は変わりうる。

日本の消費者に直接販売するルート

韓国も台湾も香港もシンガポールも、一九九〇年代には市場アクセスの町で厳しい状況に立たされそうだ。ヨーロッパは東欧諸国(少なくとも何力国かはECに準加盟国の地位を与えられるだろう)が生産した製品を受け入れるために市場を確保しておかなければならないから、アジアのNIESの製品を締め出すだろう。アメリカは、国際収支の赤字を減らすために輸入を削減し輸出を増やさなくてはならない。アメリカは対ヨーロッパ収丈がすでに黒字になっているから、赤字削減のツヶは環太平洋諸国に回ってくるはずだ。アメリカが。一二〇〇億ドルの赤字を解消して八〇〇億ドルの黒字(アメリカの対外債務の利払いに必要な金額)に転じるあいだに、環太平洋諸国ではどんなに少なく見積もっても一〇〇〇万人の失業者が出るはずだ。

理論的には、日本が環太平洋ブロックの中心となってNIESからの輸出を受け入れ、環太平洋地域の経済発展の先導役を果たすことができるはずだ。いわゆる雁打型の発展をめざすわけだ。そのためには、日本がブロック内の産品を買い上げる主荷市場になる必要がある。しかし、環太平洋諸国から日本への輸出は近年増加しているものの、内容的には低賃金労働力を使って生産された部品がほとんどで、日本企業がそれらの部品を製品に組み込んで世界へ輸出している。つまり、環太平洋諸国は日本市場へ輸出しているというよりも、間接的に欧米市場へ輸出しているだけなのだ。

日本の消費者に直接販売するルートが閉ざされている点においては、アジアのNIESも欧米の先進諸国も同じだ。だが、環太平洋貿易ブロックを実りあるものにするには、日本市場への直接アクセスがどうしても必要だ。現在は、日本市場で物を売るには日本の企業に仲介してもらわなくてはならない。これでは、アジア諸国は日本にとってただの低賃金労働力でしかない。日本の新聞にも、「アジアのNIESにとって、日本はいまだに密林の王者と映る。

日本の企業はこれらのNIESに生産拠点を移して、現地のメーカーを市場の最下端から締め出そうとしている」という記事が見られる。アジアの企業が日本市場への輸出を伸ばして日本国内の産業に影響が出るようになると、日本政府が輸出の削減を働きかけてくるケースもよくある。韓国などは、莫大な対日貿易赤字を抱えているにもかかわらず、ニット製品の対日輸出を「自主規制」している。

アジアのNIESも、欧米諸国と同じように対日貿易赤字が増大する一方だ。しかし、環太平洋貿易ブロックを形成するとなれば、日本が多額の輸入超過を引き受けなくてはならない。それができる経済力を持つ国は、日本しかないのだ。地理的にはアメリカより日本のほうが近い[シンガポールなどは、それでもかなり遠い]のだが、アジアの環太平洋諸国は経済的にはアメリカとの結びつきのほうがはるかに強い。輸出量もアメリカ市場向けのほうが多いし、直接アクセスのルートを持っているから、アメリカ企業に販売の仲介をたのむ必要がないのだ。

日本の家族の住まいの建築的構造の変遷

このアニメは、携帯電話をほとんど必須の道具として用いる若者たちが、この道具を通じて何を欲望しているのかを、反照してみせる。そこで求められているのは、近接性の感覚、ほとんど完全な同時性を覚えるほどの、他者の直接性の感覚である。携帯電話によってすらも、完璧には到達しえないほどの、極度の近接性・直接性への欲求が、携帯電話の使用を駆り立てているのではないか。重要なのは、交換されるメッセージの内容ではない。実際、若者たちの間で交わされる、携帯メールのメッセージの大半は、内容的にはささいなものばかりなのだから。ここで想起されるのが、この国で、二〇〇三年頃よりしばしば起こる、いわゆる「ネット心中」である。互いに見ず知らずの若者たちが、インターネットを通じて呼びかけあい、一緒に自殺するのだ。自殺に至った背景や理由に関して、自殺者たちが互いに何かを共有しているわけではない。従来、心中は、結束の固い家族が行うものだった。言い換えれば、ネット心中は、家族による心中を代替するものとして登場してきたことになる。

ネット上の呼びかけに、まさに説明されるべき理由もなしに呼応してきたという事実が、彼らの間に、家族以上に本来的で原初的な関係が成立していたことの証左になっていたのではないか。無論、客観的には、誰かがネット上の呼びかけに応じたということこそ、偶然的・偶有的な事実である。ここでは、純粋な偶然性が、当人たちの感覚の中では、逆のものとして、『つまり家族のつながりを越える強い必然性として現れていることになる。以上の議論は、さらに、日本の家族の住まいの建築的構造の変遷を辿ることから、傍証を得ることができる。西川祐子は、日本の家族の近代史を追いながら、そこに、古いタイプの二重構造から新しいタイプの二重構造への交替があったとし、それぞれの家族モデルの二重構造が住まいのモデルの二重構造と対応していた、と論じている(西川『住まいと家族をめぐる物語』)。西川の言う家族モデルの旧二重構造とは、「「家」家族/「家庭」家族」という二重構造であり、それは、「「いろり端のある家」/「茶の間のある家」」という二種類の住まいのモデルの共存によって支えられていた。「家」家族とは、直系三世代同居の家業を営む経営体のことであり、社会学的な用語で表現すれば、「拡大家族」にあたる。

「家」家族の住まいの典型は、「いろり端のある家」で、家族が集合する団巣の空間がいろり端である。そこを主宰するのは、父たる男である。家族のすべての成員は、父の眼の届く範囲にいる。「家庭」家族とは、家業を継ぐことがない次男こ二男が、都市部に出たり、分家したときにあらたに形成した家族であり、夫婦と子どもをメンバーとする核家族になる。「家庭」家族の住まいの典型は、「茶の間のある家」であり、その中心には夫としての男がいた。この二重構造は、旧来からの「いろり端のある家」の中に、「茶の問のある家」が参入してきたときに始まるわけだが、それは、一九一七年のことであったという。この旧二重構造は、戦後一〇年二九五五年)くらいまで続いた。家族モデルの新二重構造とは、「「家庭」家族/個人」の二重構造であり、それは、住まいのモデルとしては、「「リビングのある家」/「ワンルーム」」が対応している。リビングのある家とは、いわゆるnLDKタイプの住まいのことである。ここで、nとは、「家族成員数-1」であるとされた。その引かれる1は、父=夫である。

つまり、家族の中で、父=夫だけが、固有の場所をもたない。それゆえ、西川によれば、リビングのある家にあっては、主宰者は、主婦である女である。このnLDK型の住まいが普及し始めるのは、一九七〇年代の前半である。そして、一九七五年には、最初のワンルームマンションが登場している。ワンルーム(マンション)とは、nLDK型の住まいの(子どもの)個室を、空間的に分離させたものに過ぎない。それゆえ、「リビングのある家」と「ワンルーム」は独立の住まいではなく、後者は、前者の一分枝として理解すべきである。西川による、家族の旧二重構造から新二重構造への転換という構図は、この議論とよく対応する。旧二重構造は、理想の時代の前史に対応している。旧二重構造から新二重構造への移行期、つまり「いろり端のある家」はほとんど見られなくなったが、まだリビングのある家は登場してはいない段階が、理想の時代であり、それは、日本型の近代家族の成立・普及期でもある。そして、新二重構造の段階が、虚構の時代とちょうど並行している。さて、問題はその後である。一九九〇年代の後半以降、nLDKという形式に収まらない、新しいタイプの住まいが、建築家たちによって次々と構想され、建築されてきた。西川は、この新しいタイプの住まいの位置づけに苦慮しているように見える。

この新タイプには、そうとなヴァリエーションがあるのだが、基本は、次の点にある。一方で、住まい内の空間がますます個人化(個室化)されると同時に、他方では、その個人化された空間が、家族外の社会空間に直結するようになるのだ。その典型例が、住まいとなる建物の外から内へと向かう「パブリックノコモン(家族)ノインディヴィジュアル(個室)」という配列を、「パブリックノインディヴィジュアルノコモン」という配列へと転換しようとした、山本理顕が設計した住居である。このような住まいの変化は、本節で論じてきたような家族の変容、すなわち個人が家族的な関係性から撤退した、あるいは家族的な関係を白身にとって関与的ではないものとして排除し、その反面で、他者と直接性の高い関係を取り結ぼうとする傾向と、きれいに符合していると言えるのではないか。実際、個人が個室に閉じこもった上で、インターネットや携帯電話によって外部の他者と直結しているという、今日ではごく普通の状況を想像してみたらどうであろうか。そうした状況を、住まいの構造にそのまま反映させれば、山本理顕の設計したような、新しい住居を得るだろう。

東大細胞の指導部から嫌われる

翌五四年は、それがいわゆる「総点検運動」となって共産党をかけめぐる。東大文学部の地下にあった全学連および都学連の書記局でも査問が頻発した。時間にルーズだ、金遣いがあらい、女性関係がだらしないといったような個人的問題をめぐって開始されるスパイ摘発合戦にどう耐えたのか、森田は多くを語らないが、ともかく彼はこの隠微な相克をやりすごしたらしい。それでも秋に、あのタフな森田が胃潰瘍になって三ヵ月のあいだ入院したということであるから、相当に神経を消耗させる事態であったようだ。翌年には東大にもどるが、そこでも森田弾劾の声があがる。なんとかそれも退け、工学部の実習で常磐炭鉱にいっていた七月、六全協が開かれ、党中央が内部分裂と極左方針を自己批判する。つづいて開催された都細胞代表者会議では森田は克明なメモをとり、それを東大にもちかえって報告した。六全協ショックが波をうってひろがっているあいだに、彼は新聞・雑誌をよみあさり、国内の政治情勢の焦点がどこにあるかを探った。そして小選挙区制、教育三法そして核実験に反対するという行動方針を打ち出す。

五六年の春には、島と森田が中心になって全学連が再建され、その秋には砂川闘争へと突入していくのである。こうした過程を眺めているうちに浮んでくるのは、森田という人間の明るく機敏な行動力である。すでにみたように、彼は中学のときからマルクス的の文献にふれているのではあるが、その種の早熟な人間にありがちの陰謀家めいた小賢しさが彼にはみじんもない。森田は大学に入るまで民青経験をもっていないのであって、父親の大工仕事や母親の百姓仕事を助ける勉強好きの野球少年、それが彼の少年像である。実際彼は、大学入学の直後に東大野球部から勧誘され、それに気をよくして神宮に野球の応援をしにいったのだという。ところが、そこでなけなしの財産である五千円をすられ、あちこち頭を下げてまわるが誰も金を貸してくれず、それで「社会というものに頭にきて、学生デモに衝動的に参加したんだが、体がでかいというのも考えもんで、雨の中で警官を投げとばしたりしているうち、こぶはできるわ、打身だらけになるわ、たっぷり刺激をうけ、そのまま左翼路線にまっしぐらさ」。中支で九歳年上の長兄が戦死し、それを切掛にして母親が病床につくのをみていた、というような少年時代から徐々に蓄積されていた反戦感情が、一挙に爆発したのであろう。

森田はその高い政治手腕のたちに策謀家とみなされることが多いのだが、それは掛値なしにいって、低い政治手腕しかもたぬ人間たちにありがちの嫉妬まじりの恐れからくるものである。私のみた森田には、しばしばびっくりさせられるような、ナイーヴァティがある。島成郎も「森田というのは、人が悪そうにみえるけど、本当は人のいい奴で、自分から戦争を仕掛けたことがない」といっている。星宮煥生も認めている、「森田君には浪花節的な面があって、いつも相手の気をくもうとしていた。後の世代からみると、オポチュニストで妥協的と映ったらしいがねえ」。こんな森田がブント形成の途中で排除されていく。もっとも森田自身によれば「その後悪いことができなくなってしまい、身を守ることができたという意味で、今は、このことについて感謝しなければいけないのかもしれません」(『戦後左翼の秘密』)ということであるが。森田の手腕が最高度に示されたのは砂川闘争であった。そのころ私は北海道の高校生であったから、臨場感はないのだが、ともかく森田の辣腕は旧左翼の政治プロをも驚かすものであったらしい。

ほとんど個人プレーのようにして、学生を砂川に送りこみ、そのつど発生する混乱を新たな煽動の材料にして、結局、砂川は森田の勝利に終り、本人いわく「笑い話だが、ぼくはプロ野球の優勝監督のように、胴上げされた」のである。しかしそのために、共産党中央と結びついた高野秀夫全学連書記長らが闇討ちのようにして森田を平和部長から解任しようとする。そのいがみ合いは、今でも語り草になっているほどの、当時の表現でいえば、ムサイもののようであった。それに勝ち抜いた森田には、次に革共同関西派からの追い落しがかけられ、森田は国家権力のスパイだとか右翼とつながっているなどとひどいデマが全国でとばされたりという状況になる。さらに「東大的体質(観念的で街学的な事大主義的体質)にこり固った東大細胞の指導部から嫌われ」たこともあって、(オレの立場は落ち目の三度笠だよなどと冗談を言う」はかない破目に陥っていく。

しかしそれでも森田の頑張りはつづいて、五八年の六月は共産党本部に全学連執行部をひきつれて押しかけ、「共産党中央委員全員の罷免決議」などという暴挙をやらかして、共産党から除名される。除名の後も、夏の勤評闘争、秋の警職法闘争というふうに、彼のアジとオルグは、一種、壮絶の度合をつよめて継続される。だが、トロツキズムの観念が脹らむ転換期にあって、森田のような実権派は不要である。一二月一〇日のブント結成に名をつらねはするものの、冷や飯を喰わされるのはもう眼にみえている。翌年一一月二七日の国会突入事件で、大衆運動家としての稀代の力量の最後の片鱗をみせて、彼の八年間におよぶ確執と煽動は終止を迎える。ブントも脱退し、森田はまったく敗残の将となって私たちの前からいなくなった。その後の半年間も、島や唐牛や清水の要請に応じてブントの相談役めいたこともやったらしいが、それは森田の獅子吼の単なる残響のようなものであろう。

物語消費の構造

〈物語〉が具体的な共同体とセットになっており、しかもそれが一つであれば選択すべき〈物語〉は少数で済む。娯楽としての〈物語〉も当然必要とされるが、既に〈物語〉を通じて具体的な共同体に帰属している人とそうでない人では〈物語〉に対する飢餓感は当然、異なる。この消費社会では、人が具体的な共同体に強く縛られることを良しとしない倫理が戦前への反省から存在している。また既に述べたように〈物語〉と〈共同体〉の分離も達成されているから〈物語ソフト〉をいくら消費してもその消費していく時間のみは〈物語〉にひたれる。しかしそれだけの話である。〈物語〉への飢餓感は社会に縛られる(抱かれる、と言い換えてもよい)あるいは縛ってくれる社会の存在を明らかにすることであるから〈共同体〉と切り離された〈物語ソフト〉をいくら消費してもその飢餓感は決して満たされない。〈物語〉への過剰のニーズは〈物語〉と〈共同体〉の分離の結果起きたのであり、この決して満たされない仕掛けからなる〈物語〉への飢えが〈物語ソフト〉の複製や流通の技術の進歩と結びついて(あるいはそれを半ば促して)今日の、個人の消費のキャパシティをはるかに超える量の〈物語ソフト〉の氾濫という事態を生んだのである。

ぼくが〈物語消費〉と呼ぶ消費行動は、このような〈物語〉と〈共同体〉の分離に端を発する飢餓感が、パッケージされた〈物語ソフト〉ではもはや消費者が満たされないことを消費者自身が察知することで顕在化する。『物語消費論』(新曜社)で「ビックリマンチョコ」の分析を通じて抽出した〈物語消費〉とは、したがって〈物語ソフト〉を消費することではない。〈物語ソフト〉を消費の対象とすることが大衆化するのは近代社会もしくは都市空間に普遍的な現象である。〈物語消費〉とは〈物語〉への都市住民あるいは現代人の飢えをその動機としている点では〈物語ソフト〉の消費と一致するがしかし、〈物語ソフト〉を一次的な消費の対象としない点で異なる。その仕掛けの詳細は『物語消費論』や本書に収録した「ビックリマンと天皇制」に何度も書いたので割愛するが、「ビックリマンチョコ」における〈物語消費〉とは、ロッテという企業があらかじめ用意したビックリマン神話とでも呼ば恥惣擬似的な神話の体系(それは比喩ではなく事実、日本神話の体系に近い規模と内容から成る)の中で、シールに印刷された神話の構成員たる個々のキャラクター及びその裏の印刷に微分化された情報を手がかりに消費者である子供たちが「ビックリマン」のストーリーを再構成する行為を指す。

彼らは〈物語〉の断片を手がかりにその全体像が示されていない〈物語〉を擬似的に創作しているのであって完成品である〈物語ソフト〉を一方的に送りつけられ単なる受け手として消費しているわけではない。また重要なのはここでは〈物語ソフト〉が商品にはなっておらず、商品はあくまでもズ物語〉の断片としての情報を印刷したシールをおまけにつけたチョコレートである。消費者はチョコレートを買えば買うほどより多くの〈物語〉を擬似創作ができ、しかもそれを繰り返せば繰り返すほど企業の用意した〈神話の体系〉にとり込まれていく。〈物語〉がチョコレートというモノを消費するための動機付けとなっているわけだ。ここから電通マーケティング局ディレクターの福田敏彦らによって提唱される『物語マーケティング』(竹内書店新社)という考え方も出てくることになる。さてここで改めて簡単に要約しておけば〈物語消費〉とは次のような特徴を持つ。〈物語ソフト〉ではなくモノないしはサービスが消費の直接あるいは見せかけの対象となる。そのモノ及びサービスは〈物語〉によって秩序付けられるかあるいは秩序付けられるべく方向が与えられている。消費者は消費行動を通じて〈物語〉を擬似的に創作するか体験ないしは演じる。

それでは〈物語ソフト〉の消費と〈物語消費〉ではその消費行動の持つ意味あいはどう異なるのか。かつて『物語消費論』の中で〈物語消費〉の枠組みを〈世界〉と〈趣向〉というキーワードによって説明したことがある。〈世界〉と〈趣向〉は歌舞伎用語であり、江戸時代の中ごろからさかんに使われるようになった。服部幸雄(『歌舞伎のキーワード』岩波書店)によれば「世界」とは「一編の長い狂言が舞台の上で繰り広げられる時、その虚構の物語世界、その芝居が作り上げる全宇宙の枠組みを指す」ものである。例えば「義経記の世界」「曽我物語の世界」と表現される〈世界〉とはこれらの作品が繰り返し上演され親しまれることで送り手と受け手の間にこれら〈物語〉の「背景になる時代、事件(ストーリー)、登場人物の名前(役名)とその基本的な性格・立場・行動の型などすべての面にわたり、大幅な改変を許さない、作劇上の前提としてあらかじめ存在する枠組み」として共有されたものをいう。一本の起承転結から成る具体的な〈物語ソフト〉(この場合は個々の戯曲及び上演)ではなく、それが生成する場を〈世界〉と言う。

だから例えば「仮名手本忠臣蔵」というソフトであれば「太平記の世界」で繰り広げられる〈物語〉である。「仮名手本」では浅野内匠頭は塩冶判官、吉良上野介は高師直として登場する。塩冶判官や高師直は「太平記」の時代背景や人間関係を実際に起きた内匠頭刃傷事件のてんまつを持ち込みあてはめることで作られた〈物語〉である。したがって同じ事件を「小栗照手の世界」で展開した「鬼鹿毛無佐志鐙」という狂言も存在する。また反対に「太平記の世界」を枠組みとした〈物語〉では「後醍醐天皇隠岐の配所」や、由井正雪の事件を「太平記の世界」に置いた「太平記菊水之巻」などの作品もある。これらの〈世界〉の中で創案される個々の〈物語〉を歌舞伎では〈趣向〉という。一つの〈世界〉を横切る一本の線が〈趣向〉であり、理論上は無数の〈物語〉が生成する。また同一の物語の形態であってもそれが成立する〈世界〉によっては全く異なる〈物語ソフト〉になる。

逆接的民主主義-民主主義の否定こそ本義

それゆえ、こう結論できる。裏切りを孕んだ愛こそが、われわれが求めていた普遍的な連帯を導く可能性を有しているのではないか。公共圏と交響圏は、同じものでもなければ、異なるものでもない。交響圏を構成する、共同性を内へと凝縮させる力には、それと背馳する別のベクトルの力が伴っている。一方に、特定の他者へと志向する、特定の他者を愛そうとする力がある。だが、他方で、同時に、不定の他者への、〈無としての他者〉への志向が作用している。この後者の志向によってこそ、普遍的な公共圏を構成することができるのではないか。しかし、それは、どのような政治の形態を要請するのだろうか。ここで、ヒントになるのが、先に考察した二つの事例「沖縄の少女」と「キリスト」の事例である。彼らが、普遍的な公共性の触媒となりえたのは、なぜだろうか?彼らは、共同体の秩序の中に内在的な位置づけをもたない、排除された特異点であった。たとえば、沖縄の少女の場合を考えてみよう。

第一に、女性への暴力が基地問題として公認されてはこなかった(排除)。第二に、レイプは、他者からの同情や理解を徹底的に拒む、個人の内的な核への冒涜である(特異性)。盗賊だちと交じって、苦しみと悩みの内に殺された惨めなキリストの姿もまた、共同体の秩序から排除された特異性を表現している。彼らは、共同体の階層序列の底辺ということですらなく、その内部で位置づけられない排除された一点である。このような排除された特異点だけが、〈無としての他者〉を直接に具体化することができる。それは、本性上、どのような特殊化された限定をも受け付けることがない、何者でもないというほかないからである。普遍的な公共性は、人々が、排除された特異点と関係し、これと同一化することで果たされる。普遍性は、人々がすべての交響圏が、彼らから排除された特異性と関係する仕方の内にあるのだ。排除された特異点は、交響圏を結束する関係(愛の関係)の様式に随伴する、その関係の裏面を、純粋状態で抽出し、公共的な普遍性へとつなぐ回路を開くのである。

こうした考察が示唆するのは、逆説的な形式の民主主義である。一般には、民主主義とは、多様な利害のある種の集計であり、それらの間の「平均」や「妥協点」を見出す意思決定の方法であると考えられている。つまり、そうした「平均」や「妥協点」を、全成員の意思の普遍化された代表と見なす方法が民主主義である。それに対して、以上の考察が示唆するのは、これとはまったく逆の、言わば反転した民主主義である。すなわち、制度化ざれた社会秩序の中で位置づけをもたず、公認の誰の意思をも直接には代表しない、排除された他者を、普遍的な開放性を有する社会の全体性と妥協なく同一視してしまうこと、これが、以上の考察から暗示される、来たるべき民主主義の基本的な構想である。これは、すべての意思の平均的な集計という、通常の意味での民主主義のまったくの否定である。しかし、他方で、これは、民主主義の本義への回帰とも解釈できる。というのも、民主主義democracyとは、つまり都市国家の階層秩序の中に位置づけをもたない排除された民衆の支配のことに他ならないからである。

冒頭で、「われわれ」と「彼ら」の対立が「われわれ」自身に内在しているという感覚、「われわれ」の中に不気味で受け入れがたい他者が深く浸透しているのではないかという半ば妄想的な感覚こそが、自由で開かれた社会の構想にとって、最大の困難となって立ちはだかっている、と論じた。しかし、逆に、この感覚を、希望の兆候と解釈しなおすこともできるのではないだろうか。「われわれ」の共同体の中に侵入している「他者」こそ、今述べた、逆接的な民主主義の開放性をもたらす「排除された他者」以外のなにものでもないからだ。つまり、その「他者」を触媒にしてこそ、逆に、むしろ、普遍的な開放性がもたらされるからである。最後に、今日における最大の社会問題、地球環境問題に即して、まさに、開放性のよりどころとなる、「排除された他者」とは何かを考えておこう。それは、たとえば、「第三世界」の貧民や農民だろう。さらに、何よりも、それは、声なき未来世代、来たるべき他者ではないか。未だ生まれざる他者の要求を、妥協することなく、社会の全体性を代表する普遍的な意思と見なすこと、これが、エコロジカルな破局へ対抗する民主主義だ。

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