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諸外国に普及しだしたアメリカ式格付け

米国以外で最初に格付けを導入したのはカナダである。米国との資本交流が活発になったこともあり、一九七二年に二つの格付け機関が誕生した。カナダでは一九六〇年代末から株式市場が低迷して社債やコマーシャル・ペーパーの発行が急増したが、投資家に対する信用リスク情報が不足していたために、証券分析に詳しい専門家が格付け機関を設立した。行政主導型ではなく、アメリカと同じように投資家のニーズに基づいて自然発生的に格付けが始まった。

格付けが世界的な広がりを示すようになったのは、一九七〇年代の終わりから八〇年代の前半である。イギリスでは、企業財務データなどの販売を行っていたエクステル社が一九七八年に格付けを始めたが、開業後一年四ヵ月で中止した。格付け失敗の理由は、格付けの手法が米国の方法と異なり機械的に行われたことが主な理由である。

エクステル社は、社債を発行する「企業の評価」と「社債の評価」を、過去の財務データなどに基づいて別々に行った。格付けは、将来の償還力を評価するものであり、過去のデータも重要であるが、投資家に将来情報を提供しなければ格付けの意味がない。エクステル社は、統計的な手法を使って過去のデータを定量的に分析すればアメリカの格付けの九割以上は説明で ふきるという実証分析に基づいて、定性的・主観的判断を排除したが、経済は人間の体や自然界の変化のように常に新しい現象を伴いながら変転していくので、過去のデータと共に専門的なアナリストによる見通しを必要とする。その結果、エクステル社の格付けは、社債の将来の償還力を表す情報となりえず、投資家に利用してもらうことができなかったために、エクステル社は格付け業務を中止した。

一方、七八年に銀行評価機関としてロンドンに設立されたIBCAも、八〇年代に入って金融機関専門の格付けを始めた。IBCAはその後、事業債の格付けにも進出し、九七年には米国老舗の格付け機関フィッチと合併してフィッチーBCAとなり、米国、中南米、日本などにも拠点を置くグローバル格付け機関となっている。ユーロ債の格付けも一九八〇年代に活発化した。エクステル社はイギリスの国内企業の格付けを試みたが、ロンドンで発行されるユーロ債券についてはS&Pが八〇年代の初めに本格的に乗り出した。七〇年代まで、ユーロ市場で格付けが行われなかったのは、ユーロ市場はネームーマーケット、すなわち起債関係者にその評価がすでに知られている企業だけが債券を発行し、新参者は容易に参入できないマーケットであったためである。

ところが、世界的セキュリタイゼーション(証券化)の波によって新規の起債者が増加し、ユーロ債券市場は八二年にはアメリカ市場の規模に匹敵するほどに拡大した。新規発行者が増加するとネームーマーケットではやっていけず、格付けに対するニーズが発生した。特に、八〇年代に入ると、米国の年金基金やミューチュアルーファンド(投資信託)がユーロ市場における債券投資を本格化したが、米国SECの規則などによってアメリカの機関投資家は格付けのない債券に投資ができない。そのため、ユーロ債券の格付けが焦眉の急となり、S&P、ムーディーズが取り組むことになった。S&Pのユーロ債格付け件数は七〇年代末までは五〇銘柄程度であったが、八三年には1000銘柄を超えるようになった。

パオの主人

むろん牧民は茶を栽培しない。中国「内地」の産品である。茶は漢族のもたらした商品としてはもっとも古いもののひとつだ。茶は早朝にストーブの最初の火で鍋でつくられ、例の大きくて保温力の高い中国製魔法びんに移されて一日中絶やさない。全員が放牧に出掛けて誰もいないパオに入りこんで、茶を飲むのは自由だ。それが草原の習慣である。身を休める緑蔭さえない草原の、相互扶助的な無言のシステムである。」般にモンゴル族は無ロで、言語表現に重きをおかない。漢族とは対照的だ。パオの主人の口数が異様なまでに少なくとも、それを不機嫌の兆候と判断するのは早計である。

パオの入ロの左手、水桶と反対側は馬具の置き場だ。切りそろえた羊肉が吊してあったりもする。この場所に小さな柵囲いかつくられることもある。仔牛のためだ。生まれたばかりの仔牛はたいへん素直で、同時に弱い。だから生後の一定期間は手厚い保護を加えるのだ。パオを訪問し、牧民と膝を交えるとき、わたしたちが困惑する問題がある。それは食前といわず食中といわず、際限なく白酒をすすめられることである。訪問初夜のみのしきたりだというが、そのすすめる熱意は尋常ではない。白酒は雑穀からつくり、北中国一帯で愛飲されている安酒だが、おそろしく強い。臭みもあって、なかなかすんなりと食道をくだってはいかない。「草原白酒」という抒情的な呼称を、実体の裏切ることおびただしい。

パオの主人は、まず盃に三杯飲み干すのが客の礼儀だと迫った。その後も間断なく酒を注ごうとする。四びん五ぴんと空になった。いずれパオの南側に堆く積まれた白酒の空びんに加えられて、朝にはおりだ霜で真白になるのだろう。こっそりと膝下の灰皿に酒をあけたつもりが見とがめられた。またなみなみと注ごうとするパオの主人の白酒を持った手をおさえた。それは動物の油脂でとても滑らかだった。さらに慣れない酒の盃を重ねた。目がまわった。パオの外に逃がれた。風はまだやまない。大地が冷え切ってはるか北方の気温と差がなくなるまで、真夜中まで、満天に冴えわたった星座のもと、強風は吹きつづけるのだ。

頭痛をかかえたまま眠った。いつの間にかストーブの火が消えている。四月の草原はおそろしく底冷えがする。なぜ七月に来ないのか、と内モンゴルに来て以来干回万回と聞いた言葉を思い出した。草原の美しさは七月と八月にある。そして草原に生きる喜びもそこらに集中しているという。七〇年代以前、牧民たちは冬営地と春営地を変えた。現在は秋から春までおなじ場所に住まうことが多くなった。パオのほかにレンガ造りの恒久的建造物を持つこともある。それは倉庫や、まれに住居につかわれる。羊は四月からの約四十五日間に生まれ、その間はいずれにしろ移動できない。四月、五月と春草の頃に、淘汰されるものは淘汰され、育つものは育って六月には羊群も安定する。六月三十日には年度の決算をするのがならいである。すなわち牧民の大晦日である。群は「銀の草」とモンゴル族が呼ぶ七月の草と、八月の「金の草」を喰み、十分に太ってつぎの冬に備える。モンゴル族は古来、漢族や日本族とおなじように金よりも銀を重んじ愛好したから、七月の方がやや優位なのかも知れない。

そして七月のはじめはナーダムである。ナーダムは「遊び」と翻訳できる。日本の県にあたる(面積ははるかに広いが)「盟」の下、日本でいえば郡にあたる「旗」の人々がそこかしこの草原から寄り来り、一ヵ所に会して歌い踊る。競馬をする。相撲をとる。相撲は原則として千二十四人が参加する。完全トーナメント制で、十人勝ち抜くと優勝である。土俵はない。まわしもしめない。そのかわりジオドクという硬い革の相撲服を上半身にまとう。ジオドクには銀の鋲がはめこんである。プリーツつきのズボンをはき、タオショウという足飾りをつける。力士たちは試合の前には、両手をひろげ、片足で跳ぶように舞う。足への攻撃は禁止されているからグレコローマンスタイルのレスリングに似ているが、相手の相撲服をどう掴むか、またどう腰技をつかうかがポイントだから柔道に近いともいえる。

ギリシヤはデフォルトしてユーロを離脱した方がよい

ギリシャが簡単に助けられることになれば、ポルトガルやイタリアも「自分も助けてくれるだろう」と思って安心してしまうことだろう。こういう事態をモラルハザード(危機意識の低下)というが、これは何としても避けたいところだ。そこでドイツはギリシャ国民に対して「節約に努めて国の支出を急激に落とせ。そうしないと助けてやらないぞ」と脅すことになる。でも、これはいわばキリギリスに対して「アリになれ」といっているようなもので、現実的には非常に困難である。不可能に近いといってもよいかもしれない。こういうことを無理強いさせようというのが、ドイツ人の頭の固いところだ。

では、ギリシャの側からはどういう対応が可能だろうか?一つは、ドイツの命令を守って忠実に実行していく、というものだ。緊縮財政を続け、倹約に努めて財政状況を改善させながら、ドイツからも債権の減免などの措置をしてもらって、徐々に危機から脱する、というシナリオだ。これがまさに今までギリシャかたどってきた道だ。しかし、鍵を握るドイツがアンビバレントな態度を取り続けるので、問題が一向に解決しない。「ギリシャをあまり簡単に助けてはいけない、でも助けないわけにはいかない。そのあんばいが問題だ」などとドイツがハムレットのように悩んで問題の先送りをしている間に泥沼に入ってしまった感がある。

ギリシャ国内でも不満が表面化している。まず増税の評判が非常に悪い(当然であろう)。そして公務員改革の難しさがある。財政状況を改善するには、過度に膨らんでしまった公務員の既得権に切り込んでいくことが必要である。しかしそれは非常に困難だ。ギリシャのもう一つの選択肢は「この際、ドイツーフランスのグループから離れてロシアとか中国とかと仲良くやっていこう」という決断をする、というものだ。仮に中国から「ウチはカネがふんだんにあるから、ケチな親分(ドイツ)から離れてウチの子分にならないか?」などと言われたらどうだろう? ギリシャ人の心がちょっとは動くかもしれない。今のままでは将来への展望も持ちにくいし。

しかしその可能性はまずないだろう。それにドイツやフランスとしてはそんな動きは最悪の展開といえる。せっかくソ連の崩壊後に東ヨーロッパの共産国が民主化して、ヨーロッパ全体が仲良くやっていこうということになったのに、その揺り戻しがあったらまずい。なのでドイツやフランスはそのような動きは絶対許さない、ということになる。ギリシヤとしても、今のように豊かな国になったのは自由主義体制のおかげだから、よほどの理由がない限り、そんな誘いには乗らないだろう。

そこで、私か最も確率が高いと考えるシナリオは、こういうものだ。「ギリシャはユーロを離脱し、デフォルト(債務不履行)する。しかしほかの国々、特にイタリアとスペインは守られる」デフォルトという言葉は刺激的だ。仮にも先進国がデフォルトする、なんてありえない、この世の終わりだ!そうお考えの方も多いことだろう。しかしギリシヤの今の状況、そしてドイツやそのほかヨーロッパ諸国の対応を見ていると、結局はデフォルトという可能性が一番高い、というふうに私は見ている。また、それが結局ギリシヤにとっても良い解決だと考える。

ユーラシアのダイナミズム

この明治時代には日本の大陸貿易は輸出総額の半分以上を占めていたし、清朝の日本留学生か急増し、ウラジオストクはじめ極東ロシアや中国東北部の各都市には日本人街がつくられていた。開かれた日本海、と言ってもよいくらいだったのである。日本海沿岸、いわゆる「裏日本」が当時の日本の表の顔だった。日本の軍事的な大陸進出の蔭に隠れていたが。それが閉じられた日本海に変わったのは、ほぼ一九二〇年代からである。ロシア革命と日本など連合国のシベリア出兵、さらに日本軍の本格的な大陸進出によって、そしてソ連の閉鎖的なスターリン体制の確立によってである。民衆間の経済交流がきな臭い軍事的緊張に変わって、日本海は閉じられていった。一方で、日本の近代資本主義の発展は太平洋側の工業化をもたらし、経済の拠点は日本海側から太平洋側に移った。そして戦後の「日米同盟」は、それに拍車をかけたのである。

一九八〇年代後半から九〇年代にかけての中国の「改革・開放」、そして一九九一年のソ連邦解体が、この状況を一変させた。七〇年ぶりに日本海が再び開かれたのである。閉じられた日本海は、この地域の歴史の射程で見ればほんの短い期間にすぎず、それが再び本来の姿に戻ろうとし始めたのだ。それは、グローバリゼーションの潮流のユーラシア東部におけるリージョナル(地域的)な現れでもある。それからすでに二〇年近く経っているが、○七年に日本の対中国貿易総額は対アメリカ貿易総額を初めて上回り、トップになったし、○八-○九年にはロシアのサハリンからの石油と天然ガスの日本への輸出も始まった。東シベリアからの日本などアジア太平洋地域への石油パイプライン建設も進行しており、○九年末にはシベリア産石油がナホトカ近郊から初めて輸出された。

シベリア鉄道による貨物輸送も飛躍的に増加しており、南北朝鮮縦断鉄道が試運転を開始し、それがシベリア鉄道に連結されようとしている。こうしたユーラシアの新たな胎動を、日本は過小評価している。とりわけ日本の外交は在日駐留米軍を「抑止力」と見なすなど冷戦思考にとらわれており、相変わらず対米従属の枠組みに安住し、さまざまなチャンスを逸している。日露間の領土問題でも、そうである。ユーラシアでは、中露国境画定をはじめ中国と中央アジア三カ国との国境画定、そしてロシアーカザフスタン、中国・ベトナム、中国・インド両国の国境確定への前進など、対等・互恵による国境の画定と安定・協力が進展している。この大きな流れから取り残されているのが、ほかならぬ日露領土問題である。日本政府は依然として、根拠薄弱な「四島一括返還」に固執しているだけで、独自の戦略的思考はいっさい見られない。

経済関係で見ても、二〇〇八年以来の世界経済危機は、自動車、家電製品を中心とする対アメリカ輸出、その資金によるアメリカ国債の購入といったサイクルが破綻したことを明らかにしている。しかも、日本の対アメリカ貿易額はかつては全貿易額の三〇%以上を占めていたが、○八年には全貿易額の一四%しか占めていないのである。一方、ヨーロッパを含めた広い意味のユーラシア(中国、ロシア、インド、EU、中東、東南アジアなど)との貿易額が約七〇%にもなっている。貿易立国・日本の貿易構造は、間違いなくユーラシアに依存しているのである。

それにもかかわらず、アメリカに圧倒的に依存していた、かつての日本の貿易構造が今日もつづいているかのような認識、すなわち錯覚がまかり通っている。そうした錯覚にもとづいた政策と現実とのギャップは、あまりにも大きい。だが、発想を転換させて、そのギャップを埋める機会を、今日の世界経済危機がもたらしているのである。日本は、アメリカを通じて世界を見るという惰性から抜け出し、ユーラシアに再び目を向けなければならない。ユーラシアのダイナミズムに日本が本格的にかかわることで、この国の時代閉塞の混迷を打破するきっかけになるだろうし、そのダイナミズムにいっそうの内実をあたえることにもなろう。

社内失業者の実態

年代別にみると、20代ではまだ年齢、勤続、学歴などで決まる部分の割合が他の年代に比較して高い。職務遂行能力で決まる部分については、30代が最も割合として高く、職務、仕事内容で決まる部分についても30代がもっとも高い。一方で、管理職が多い年代ともいえる40代では、役割で決まる部分の割合が高くなっている。(独立行政法人 労働政策研究・研修機構「今後の企業経営と賃金のあり方に関する調査」)サラリーマンの多くは、20代のうちは給与で大した差が付かない横並びである。しかし、30代、40代になると経験値の差がボディブローのように効いてきて、大きな差が開いてしまう。

仕事がないことから能力を高めることができず、結果出世できない社内失業者は、この調査が指摘するような「20代」仕事をして経験値を高めるという昇給プロセスを踏むことができず、給与が低く抑えられてしまう。年を取れば給与が増えた過去の年功序列の時代とは違い、今は賃金を上昇させるためには成果を上げ、出世していかなければならない。だが、そもそも担当の業務を持たず、業績を上げるのが難しい社内失業者にとって、昇給していくことは極めて難しいことなのだ。結婚、出産、育児、教育、保険、住宅、老後。年齢が上がれば、必要なお金の額もどんどん上がっていく。しかし、給与は上がっていかない。そんな10年後、20年後の彼らを考えてみてほしい。

これは、決して非正規や失業で苦しんでいる人達の話ではない。高い学費を払って大学を卒業し、企業に入社し雇用されている正社員の話だ。保護され、安泰だと言われ続けてきた正社員が、このような状況に追い込まれているのである。桐谷和也(28歳)さんは、都内のメーカーの人事部で働く正社員だ。彼が所属しているのは小さな会社ではなく、従業員数千人を擁する準大手であることを念頭に置いて、以下の証言を見ていただきたい。「今の給料ですか? 手取りで言うと16万円ぐらい。『なんか今月は多いな』つて思う月は、交通費が振込まれてるときです。業績不振で、ボーナスもありません。一番出たときでO・3ヵ月ですね。入社してからずっとそんなものですよ。

都内在住で一人暮らしをすれば、ワンルームでも家賃は7万円はかかりますよね。手取り16万円だと、半分くらいが家賃で消えていきます。社会人ですから飲みに行くこともありますし、ガス・電気・水道なんかの最低限の生活インフラを考えれば、節約しても切り詰めても、手元に残るお金はいくばくもありません。この給料じゃ将来結婚もできませんよ。人事部にきて、自分がこの会社にいて将来的にどのくらい給料が上がっていくのかが分かったんですよ。異動してきて3ヵ月目ぐらいに、『これはヤバイー』って思いました。この先、上がらないなって。新卒で入社して6年目ですが、今まで結局3000円しか昇給してませんからね。

うちの会社は、給与体系が業務評価と業績評価に分かれてまして、それぞれ10段階評価なんです。人事部のような管理系の部署だと、仕事がなくても業務評価は6とか、7とか、まあまあな数字をもらえるんですが、業績評価は会社の業績に連動するので、最近の景気の影響もあって、低いですよ。結局、総合評価だと5でした。昇給するには8以上取らないといけないんですが、逆に3以下になると警告状が来ます。まだ警告状を受け取ったことはないんですが、そろそろ危ないかもしれないですね。僕らの世代は、将来受け取れる年金もどんどん減るって言うじゃないですか。こんな給料で、ちゃんと老後まで生きていけるのか。そんな不安でいっぱいですよ。

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